プラリネ

好きなものだけを見つけながら生きていける

シュークリームの話


‪「15年前からこのお店ってありましたか?」


問いかけにふと眉をひそめられ、「何年前からこのお店はあるんですか?」と問いを改めた。

「30年程ですかね」
「そうですよね」

訝しげにされたが気にならず、大きく息を吸い込んだ。何も変わらない、焼きたてのスポンジや砂糖の匂いが肺に回っていった。‬





‪幼少期の思い出に、シュークリームがあった。ご褒美のシュークリーム。それを買ってもらえるのが嬉しくて、よくねだっていたように思う。‬


‪15年ぶりに訪れた街は何もかもが変わっていた。目の前には何も変わっていないシュークリーム。店内の匂いも雰囲気も、全て一瞬でよみがえった。ショーウィンドウにへばりついて選んだ宝石みたいなケーキ達。弟の好きだったショートケーキ。しっとりとしたチョコレートケーキ。柔らかなチーズケーキ。
一等好きだったのがシュークリームだったと思う。スーパーの安い6個詰のシュークリームより、ここのケーキ屋さんの一個のシュークリームは特別だった。

‪「この街の方ですか?」

先程まで訝しげな顔をしていた彼女が微笑みながら声を掛けてくれる。目尻のシワと優しい微笑みがゆっくりと記憶を起こす。彼女とはきっと、小さい頃に会った事があるんだろう。お互いが他人のようで、もう一度人生が交わっている瞬間なのかもしれない。

「昔、幼稚園の時にここに住んでいて」

思わず笑うと、「そうなんですか」と彼女は笑みを深くした。

‬ ‪「一人で遊びに来たんですけど...ここのシュークリームが大好きだったんです」

それ以上の言葉が続かなくなってしまったが、彼女は「ありがとうございます」と嬉しそうに笑った。





こじんまりとした店内。もっと記憶の中では広くて大きかったのに、今では数歩あれば店内を歩けてしまう。時が数年前のまま止まっているような気がして、酷く泣きそうになった。

「保冷剤つけときますね」‬

‪その保冷剤にもひどく見覚えがあった。保冷剤なんてどこの場所とも同じだろうが、それさえもが特別なものに見えてしまう。あの保冷剤で火傷したら冷やしたりしたっけ。冷蔵庫の中にたくさんあった同じ模様の保冷剤を思い出し、一人密かに笑った。
‪外は急な夕立で大雨が降り出していた。私は何度か振り返りながら今の間に止めばいいのにとぼうっと考えた。‬

‪ふと見たレジに真新しいクレジットカードの表記が多くあり、思わず目を細める。止まっているようで、時間は、何一つ止まっていない。‬
もう一度見渡した店内は古い。ふと目線を落としたケーキは、素朴な輝きを放ち、デパートのケーキと比べると見劣りするだろう。どんな味だったかも思い出せないケーキ達を、それでも愛おしく思う。


‪「すごい雨ですね、昨日と同じでひどい夕立」
「本当ですね」

ぽつりぽつりと会話を重ねながら支払いを終えると、彼女はふと焼き菓子を一つ手に取り、差しだした。

‪「これはプレゼントです、カバンに入れてください」
「そんな...ありがとうございます」

吸い込む空気が甘い。温かい気持ちで、「濡れずに駅まで行く方法はありますか?」と尋ねると、「傘がないんですか?」と返される。頷くと、少し待ってくださいと奥に入り、ビニール傘を差しだしてくれた。

‪「申し訳ないです、すいません」
「安い傘なので持って行ってください、返さなくてもいいので。それでも濡れるかもしれないけど」

終始笑顔で、手渡ししてくれた彼女は何を思っているのだろう。傘を強く握りしめ、頭を下げた。

「ありがとうございました、お気をつけて」
「本当にありがとうございました」‬



‪小さなビニール傘は私の身体を守るには十分な大きさだった。強い雨がすごい勢いで足元を濡らしていったが、嫌な気持ち一つしなかった。‬
‪泣きそうな気持ちで傘を丁寧に閉じる。ふわりと香った甘い匂いに、胸がキュッとした。‬