プラリネ

好きなものだけを見つけながら生きていける

勝手にふるえてようと思った話

この記事はネタバレを大いに含んでいます。
なおこれは非常に個人の解釈・感想です。


綿矢りささんが原作の「勝手にふるえてろ」をご存知だろうか。Twitter上ではそのインパクトある名前がネタに取り上げられているのを何回か見た事がある。

私が「勝手にふるえてろ」に出会ったのは、高校生だったと思う。当時生意気にも小説のジャケ買いに勤しんでいた私は、可愛いウサギの表紙に添えられた鮮烈な題名に一瞬で惹かれ、買ってしまっていた。孤独で死んでしまうと勝手に言われ可愛らしさの代表に勝手に仕立て上げられているピンクを背景にしたウサギに添えられた毒舌は、思春期の私の心をスカッとさせてくれたのだった。
当時の私の本を読んだ感想は、平べったい「わかる!私もイチが好き!」と、「結局現実ってニに落ち着くんだな」って冷めた感想だった。私はどこまでも夢見がちで恋に恋している性格で、今思えば、主人公の、イチカそのものだ。それに全く気付かない女だった。

勝手にふるえてろ」をキッカケに綿矢りささんが好きになって色々読んだけど、やっぱりどこか「勝手にふるえてろ」は私の中で特別な存在だった。

前置きが長くなりましたが、それが、今回、好きな女優さんである松岡茉優ちゃんを主演に、映画化したのでそれを見てきました。それの感想です。



映画化が決まって大喜びした私は、映画公開数ヶ月前にもう一度原作を読み直した。幾分か大人になった私が抱いた感想は、「やっぱりイチが好き」と、「でも、ニを選んだほうが幸せになれるなあ」だった。少し現実が分かってきてしまった大学生故の平べったい感想だった。私はこんなに、好きだと思っていて、この数年の間にも何回か読んできたのに、一度も気付かなかったのだ。自分がイチカだという事に。自分が、どこまでも、魔法が解ける前のイチカだったっていうことに。

アニメが好きだったせいか、読んだ文章は全て美化されていた。どこか他の世界のおとぎ話だった。私の想像の中では、例え文章でイチカの部屋はだらしがない描写がされていても、日が当たっていて明るかったし、いつだってきちんとスーツを着ていたし、綺麗な化粧をしていたし、ちょっと冴えないだけの綺麗な女性だった。でも、松岡茉優ちゃんは、彼女のイチカは、布団はひっくり返ったままで、洋服も放り投げてそうで、コンビニで食事を買って、空耳アワーに一人「まじ神だわ」って笑って、ヘッドフォンの世界に一人酔いしれたり、化粧もそこそこを保って、ちょっとのオシャレと、着たくもなさそうなダサい仕事着で、無愛想で、思った事は言えないし、現実に生きてる、大学生の私よりは少し大人なだけで、なんら変わりないただの女だった。

彼女はずっとイチが好きで10年間好きでい続けたけど、ニからの告白には舞い上がるほど喜ぶ、普通の女だった。
私も、ずっと好きだった人を引きずったまま、全然思ってもみなかった人に告白された時はイチカのように「ついに私が!!!人生で初めて告白された!!!!!!」って舞い上がった。好きに思われるのは誰からであろうと嬉しい。告白されたという事実は、一つの女性のステータスになる。そんな女の貪欲で醜い喜びが、蘇った。
そうだ、私は、イチカと全く一緒だ。

今年でずっと好きな声優さんを好きになって約10年になる。10年間好きでい続けている。好きでい続けるのはもしかしたら「異常」かもしれないけど、私やイチカにとっては、すごく簡単だ。忘れられない、好きな幻想の彼を何回も何回も頭に召喚して、反復して、好きだと思い続けるのを10年間繰り返すだけ。幻想の彼は私を一切傷付けない。ずっと私は夢の中に生きていられる。それは多分一般的には「異常」で、でも私やイチカにとっては、最大の幸福だった。他に誰もいらない。私には、彼がいればいい。彼が誰よりも一番好きだ。笑う顔も、喋る声も、仕草の癖も、いっぱい見ているから分かる。私は他の女とは違う。私は現場に行かない女だったし、黄色い声を上げる女ではなかったし、好きであることをバレないように生きていた。視界の隅でバレないようにイチをいつも盗み見て、他のクラスメートの女と自分は全く違う、と思っていたイチカと、全く、一緒だ。

イチカは、一度だけ自分からイチに話しかけた時に、「私は普通の女と同じに成り下がった」と思っていた。
私も一度だけ、彼に会いに行ってつい出てしまった自分の黄色い声に、「普通のファンと同じに成り下がった」と思ったことがある。
なんて醜いんだろう。なにが、「他の女とは違う」なんだろう。全く一緒だ。一緒どころか、底辺だ。何にもしないで勝手に優越感に浸ってほくそ笑んでる、世界で一番バカな女だ。だって、イチカを見てよ。私がイチカと一緒なら、そういうことだ。

現実のイチは、イチカの名前も覚えてなかった。

そうだよ。現実の彼は、私の名前も知らない。私の顔も知らない。そんなん、だって、当たり前なんだよ。私はずっと見ていたかもしれないけど、何も喋ったこともない。何も働きかけたこともない。何も。何もない。それがファンだもの。当たり前だ。当たり前だけど。

イチカはあのシーンのあの瞬間、全ての妄想から見放されて、現実を知る。
話しかければ何か違ったかもしれない中学生時代も、何も働きかけず、全て幻想で自分を守って、勝手に好きになって、勝手に傷ついた。

私たちは、勝手に震えてたんだ。
現実の彼に傷付けられることに。
それから逃げるために、妄想をし続けた。

目の前でイチカが一生懸命に生きて泣いていたのを見て、私はやっと気付いた。知ってたけど、知りたくなかったけど、私は、どこまでもイチカになり得た女だった。もしも、私のことを好きになってくれた人が、ニみたいな強引で図々しいほどに私を追いかけるような人だったら、私は、どうなってたんだろう。

私も、私のイチから現実を突きつけられた時は、驚くほど泣いた。真偽がわからない結婚疑惑だった。疑惑であれほどに「彼の人生に私がいない」という事に気付いたのに、私の穴を埋めた私のニのような存在は、また、彼の人生に私がいることはない人だった。
だから、私はまだ妄想にとりつかれて生き続けるのだ。多分、しっかりとした現実を突きつけられない限り、私は繰り返し続ける。目の前で自分のような人間を見てもなお、自分が体感してもなお、歴史が繰り返すように、愚かだから、同じことを繰り返すだろう。妄想に取り憑かれた病気なのだ。イチカと同じように大きな声で泣いて、孤独に思えて、悪い事が重なったら全てを投げ捨てたくなるだろう。せっかく見たのに何も学んでない、と言われても、私は繰り返す。とんだピエロ野郎だろうが、私はそれが幸せなのだ。私はイチカと一緒だけど、でもやっぱりイチカじゃない。イチカより愚かだと思われてもいい。

私は、私のイチが好きだ。かなり、ちゃんと、私のイチが好き。私を一切傷付けないイチが好きだ。
だから、これからも勝手に震えて生きていく。
私に、全てを覆してくるような、何かが起こらない限り、きっと、これからもそうやって生きていく。





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松岡茉優ちゃんの演技が本当に本当に良かったので是非見て欲しいです。キャスト全員がすごくピッタリでした。この気持ちをいつだって思い出せるように、イチカと一緒に泣けるように、いつか全部笑い飛ばせるように円盤が欲しい。
黒猫チェルシーのベイビーユーもめちゃめちゃ最高!大好き!

勝手にふるえてろ (文春文庫)

勝手にふるえてろ (文春文庫)

映画『勝手にふるえてろ』公式サイト

ベイビーユー

ベイビーユー

ニが歌ってるやつ最高.............ニ好きだよ!!!